温度差

”一つの物事や案件に対して複数の関係者間での熱意、考え方や思惑などの違い、価値観の違いの比喩として「温度差」と表現することがある。”

これで悩む人、は少なくないと思う。どの世界でも共通のことだと思うけれど、子どもを通しての親たちの温度の違いもまた、よくあることなんじゃないかと思う。
一所懸命やる人は、どうしてそうでない人はわかってくれないのかと憤りの思いだし、そこまで熱くなれない人は、その熱意が鬱陶しい、かもしれない。或いは、相手に対して学びや知識、意識が足りないと少々見下げたり憂えたり、対する方は、相手が神経質すぎる、としらけている、ということもあるでしょう。特に子どもに関わることでは、お母さんが仕事をしているかいないかでも大きく違ってくるケースもありそう。自分は仕事をしているからそこまでのことはできない、ということが、後ろめたくもあり、人によっては専業主婦は気楽でいいわねと、興ざめしていることもあるのかな。

もう、これは仕方ないこと。それでも表面上はなんとかうまく行っていることもあるし、決裂することもある。普段は温度差があっても、部分的に一致団結することもある。たいていは、自分と同じ温度の人たちと自然に固まっていくのではないかな。仲間がいれば、少し安心できる。そうは言っても、子ども同士の付き合いには親の温度差が全然関係ないことが多くて、それもまた微妙なところなんでしょう。いや、子どものために、なんとか最悪の状況を避けて違う温度同士でもうまく付き合っているのかもしれない。

私は、避けられない問題ほど、そのことで頭をいっぱいにしないほうがいい、と思っています。言うほど簡単でもないですが。一度忘れることと、そのことに対して関心を失うことは、ぜんぜん違うことです。自分の思いを持続するためには気力体力が必要。怒りの感情、失望、その他マイナス思考は、気力体力を奪う。多分一生付き合っていく温度差。なるべく万全のコンディションで自分の温度を保ちたい。ちょっと、自分の為に頭を整理してみました。

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