育つ過程

モンテッソーリ教育法を専門的に学び、資格と経験があります。今日はそのことから少し。

モンテッソーリとは早期知的教育法と理解し、故に子どもには適していないと判断するのはとてももったいないことだ、と思います。

子どもには、生物学的に決まった発達段階があります。首がすわるより先にお座りをすることはないというのが一例です。このことは、多くの教育学者が観察によって確認しています。モンテッソーリは、この発達段階ということをとても大切にしました。各段階において見られる行動が充分に満たされると、それはその子の心身の充足となり、自己肯定につながる。自己肯定は自由へのキーです。自由とは、自分の責任を自分で持った上で自分のしたいことができるということ。モンテッソーリが目指したのは、この、真の自由でした。

各段階での行動が充分に満たされるというのは、その行動を自発的に繰り返して行い、自分にとって満足できる行動とすることです。つまり、例えばハサミに興味を持ったら、ハサミを使って切るという行為に対する環境を整え、充分に経験させ、正しく持って正確に切ることができる道筋をたどるということ。
それは生まれてすぐは『聞く』だったり、『見る』だったり、月齢を追う毎にどんどん変化していきます。幼児期となれば数や文字にも興味をもつでしょう。モンテッソーリは、その興味に対して系統だった教具を整えたのですが、そのことが早期教育と誤解されている点かもしれません。

「すぐに飽きるからもったいない」と、その時期に適したおもちゃを購入することをためらうことがあります。正確には、子どもは、飽きるというよりその段階をクリアしたので次に進みたいわけですが、ひとつひとつが決して安価ではないおもちゃを発達段階ごとに全てそろえるのは簡単ではないことにはもちろん共感します。だからこそ、店内ではほぼ全てのサンプルをお出しして、充分に遊ぶ機会としても利用していただきたいという思いでおります。ひとりの子どもが真に自由に育つということは、自分も暮らすこの社会の将来にとってとても大切なこと。店内でたくさん遊んでいただくことは、将来的に、私や私の子どものためにもなることで、大歓迎なのです。
その年齢の方の目線に合わせてその時期のおもちゃを並べるようにしています。体が大きくなるにつれて上の棚にあるおもちゃにも目が行くようになります。そのため、大人にとっては変化は少ないですが、あまり大きなディスプレイ替えはしません。それぞれのおもちゃ、たとえば、叩くおもちゃ、ひっぱるおもちゃ、なども、私なりのベストを選んでいるので、入れ替えはあまりないと思います。

単に美しいだけではない、丈夫なだけではない、安全なだけではない、成長に対しても充分な考慮がなされている、それがクルテクのおもちゃだと思っています。

たまにはまじめに頑張って書いてみました。

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