幼稚園の見学

フレーベル理念を実践している幼稚園を見に行きました。

看板にもしっかりと記載。

お子さんの顔は撮影しないという約束です。
遊んでいる場面や先生との関わりの場面など、何よりも説得力のある良いシーンがたくさんありましたが、それらはあまりご紹介できず、充分には伝わらないかもしれません。雰囲気だけでも。

外観です。

私は、うさちゃんもくまちゃんも、キャラクターも、『センスいまいちでは?』と考えてしまう方です。多くの大人は自分の家の外観をそういったもので飾りたいとは思わないでしょう。

雪が降っても寒くても、よほどのことがなければ外遊びの時間をとるそうです。

駐ソリ場??

ドロンコ保育主義、外遊び重視保育を取り入れている園の室内遊びの環境が充分でないことはあまり珍しくないのですが、室内遊びの環境を大切に考えている園は、ほぼ間違いなく同じくらい外遊びも大切にしているように思います。

保育現場で印象深かったのは、落ち着いているということです。これもくまちゃんうさちゃんと同じく、子どもは元気に大声で走り回るものという、大人が勝手に作ったイメージが膨らみすぎていると意外に映ると思います。落ち着いていますが、ひとりひとりはイキイキしています。そこには子どもたちが安心して過ごせるルールがあり、また発達に即したおもちゃで存分に遊ぶことができるということで、心を安定させることができるのでしょう。教師は毅然としていますが、子どもを自分の意のままにコントロールする態度ではありません。まさに、教えるということを実践しています。そういえば教師は赤ちゃん言葉や甲高い声を使ってなかったですね。主体は明らかに子どもですが、大人が大人の役割をきちんと果たしているところ、よく知識と経験を積んだブロ仕事を見せて頂きました。


乳児クラスの子どもたちが先生と木製レールで遊ぶ様子の一部です。
落ち着いた穏やかな雰囲気、先生の声の調子、歌を取り入れているところがわかると思います。ドイツ語!なんと声をかけているのかそこまでわかるといいのだけど…


乳児クラスの遊ぶ部屋。


乳児クラスの寝る部屋は、清潔感があり、植物もたくさんおいてありました。

各クラスに充分な広さの遊ぶ部屋、寝る部屋、トイレがありました。保育者の動線にストレスが少なく、子どもにもムダな待ち時間がなくて済みます。また、園内の掃除は掃除のプロが担当しており、保育者は保育に専念出来ます。お掃除に追われて保育がおろそかになってしまうなら、保育者は保育に集中できたほうがいいでしょうね。


天井の飾り。


フレーベルの恩物も、実際に保育にも使っているようです。


手人形がズラリ。歌、お話を大切にしています。


かっこいいわ〜


大きな砂時計。目に見えるルールがあると、教師が大声であれこれ言わなくて済みます。ルール内で自己責任を果たそうという気持ちも自然に育つでしょう。

親が園によく関わっていることも随所で見かけることができました。男性も日本の数十倍の割合でしっかり育児休暇をとること、仕事は夕方には切り上げないといけないという法律、シングルマザーが特別視されず過ごしやすい、などなど、社会そのものが親が園や子どもにしっかり関わることをサポートしています。残業と休日出勤でズタズタになっているお父さんと、孤独な育児に追い込まれるお母さんには羨ましいばかりと思います。夜になると街の灯が消え、各家庭にほんのりと柔らかい光が灯っているのが印象的でした。

こんな感じで、講義を受けたり、実際に自分でやってみたり、実践しているところを見学したりと、さまざまな切り口からフレーベルの学びをしてきたわけですが…
フレーベルの理念、これは外国で生まれたものです。なじまない思いもあるかもしれません。
それは社会が個人に対して求めるものが元々違うから当然のことでもあると思います。
フレーベルの理念は、自立した個を育てることを目指しています。欧米社会がそうだから。
日本社会は和を大事にし、個は和の中でいかにバランスよく振る舞うかということを重視する傾向にあります。
欧米社会は大人になることを誇りとします。日本社会は大人になることは喪失と考え子どもであることに比較的寛容です。
自分で解決の糸口を見つけることに力を注ぐアメリカやヨーロッパ、対して日本では助け合い寄り添い合い共感することを美とし、好みます。
どちらがいいということではなく、それぞれがその土地に合う文化として築いてきたことです。
でも、日本は、和の精神を持ったまま形だけ欧米を追いすぎてしまったかも。自分で考えない、大人になりきれない精神のまま、欧米化社会で暮らそうとしています。
日本での生き辛さを感じるとしたら、そのバランスの悪さもあると思うのです。
古き良き日本(とは必ずしも言えない、だから変化があったのだし)にも戻れないし、完全に欧米化もできない、またするべきではないでしょう。
どんな時でも、自分で考え自分で責任を持てるということは決して生きていく上で邪魔にはならないと思います。その上で自分が所属する社会の良いところを生かしていけばいいと思うのです。
外国も日本もない、将来人として人が関わる社会で生きて行く時に、子ども時代をどう過ごしたらいいの?ということはマジメに振り返ってもいいと思うのでした。

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