いろんな考え方

最近読んだ本『生きる力をつけるドイツ流子育てのすすめ』が、とてもおもしろかったのです。
著者のサンドラ・へフェリンさんは、ドイツでも日本でも学校教育を受ける機会があり、両方をの違いをとてもわかりやすく記しています。

教育は歴史と文化とは切り離せないものですから、日本の教育は日本らしくここまで来たのだと思いますが、それが親子ともに窮屈になる原因だろうなあと、この本を読むと思います。
とにかく、合わせなくてはいけない。協調を大切にし礼儀を重んじる人間関係は、日本らしい大切なことと思う反面、思考力判断力を奪われがち。自分で考える人は協調性がないと言われてしまうので、肩身を狭くしながらその場にいるか、考えないようにするか。そのどちらか、というのは、キツイですね。

せめて遊ぶ時間が十分にあり、遊びの中で工夫することを経験できればいいのですが、小学生になるとびっくりするくらい学校にいる時間が長くて遊ぶ時間がない。それなのに、脱ゆとりなどといって、土曜日も授業をやろうとしたり、コマ数を増やそうとする。私は、学校の中で、道徳や学活、過剰な特別活動は、無駄だなあと思っています。運動会、他、行事前に、誰のためなのか授業をたくさんつぶして練習して授業時間が足りなくなるなら、練習しないで済む運動会にすればいいのに。シナリオ通りの行事をこなすことが、子どもの成長のどれくらいの為になるんだろう。
なのに、計画通りにパフォーマンスをやり遂げる姿が、決して見ていて不愉快なものではないのが罠だと思います。やるとなればカメラやビデオに収めます。ちゃんとやる我が子が頼もしく、できることは素晴らしいと思ってしまう。年齢以上のこと、たとえば幼稚園児が組体操とか、そんなのを見せられると、目標に向かってみんなで努力し、達成することの何が悪いか?という話になって、なんとなく、それでいいのかも…と思ってしまうかもしれない。
それから、大多数ができている輪の中にいないわが子のことが不安の種になることも。

そうやって、迷路に閉じ込められたような気持ちになったら、この本、いいかもしれないです。価値観が変化するかもしれません。日本の日常でこうあるべきと思っていたことに、大した価値がないかもとちょっとクールダウンできるかもしれません。

私のカンですが、道徳教育をしっかり組み込み、課外活動としてあいさつ運動を指導している日本の学校の子どもより、そういうのがないドイツの子どもの方が、公共心と挨拶がずっと育ってると思います。

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