会議に出席して、あたりさわりのないことについて考えた

ある機会があって会議に出席しました。
会議の内容はちょっと脇に置き、会議をきっかけに「当たり障りのないこと」について考えました。

当たり障りがないということは、特色もなく非難すべき点もない、害にも益にもならないというようなことだと思います。どうも日本人は広く社会においては当たり障りないことは大切なことと思っているように感じます。どのような感性も特に刺激せず、大きく感銘を受けることも、深く傷つくことも避けたいのだろうと思います。それは、個体差が少ないことが穏便ということかと解釈します。突っ込むと、個性はやはり嫌われ者なんでしょうね。個性というものは、潰せるものもありますが、どうやっても潰せないものもあります。それは理解されているようでした。潰せない個性は勝手に出てくるでしょうから、せめて公の立場でおすすめするものは当り障りのないものにしましょう、と、いうことでした。

当り障りのないものから育つのは、まあ当り障りのない人間なのではないかと思います。でこぼこするのは避け、同じような感性で仲良く暮らしましょう、はみ出ちゃう人はしょうがないですが、そんな社会かもしれません。それでいいじゃないか、平和なんだから、その中にいるとそう思ってしまうかもしれないですね。その感覚は、一部の権力と財力を持つ人間が、大部分のそうでない人間を意のままに動かすのにとても都合が良いように思います。都合良く動かされても、反骨精神が育っていないので、しょうがないみんな一緒ならあきらめもつきますと受け入れ、ますます一部の人間にとって好都合。

私は、やはりどこかでそれを打破したいと考えてしまいます。当り障りのない状況を打ち破る人間が育ってほしいと願います。自分で考え、自分で判断できることは本当に大切。疑問を持ったら行動できることは重要。そう思い、そのためにどのように育ちを考えたらいいのか、あーそこが今おもちゃをおすすめしながら意識にあることかもと、改めて思いました。自分から働きかけ、自分の感性で関わって遊ぶと、個性が浮き彫りになります。誰でも本来持っている自分自身の力を邪魔されずに発揮できるのが、子どもの遊びの場だと思います。おもちゃや絵本の役割も決して小さくないでしょう。子どものもつ感性にしっかりついてくることのできる美しく楽しいおもちゃは、たくさんあります。そんなおもちゃや絵本をこれからも探していきたいです。そして、しっかりと自分をもつお子さんに育つことに誇りをもっていただけるよう、ささやかですが応援したい!思うのでした。