牛乳パック と 新聞紙

保育士時代、衝撃だったのは牛乳パック椅子でした。こんな発想があったのか、と思いました。
ぎゅうぎゅうに新聞紙を詰めて、ガムテープでグルグル巻いて、背もたれのない牛乳パック6個分の椅子を、カバーも付けていくつも作り、結構重宝していました。そのうち何百個とパックを集め、乳児クラス用に、這い上がって降りてこられる階段状の遊具を作り始めました。
その頃は廃材を利用して節約し、保育士ならではの手作りの工夫にとても満足していました。我が子にも椅子を2個ほど作り、それなりに活躍させていました。

もし今、保育現場で働いていたら、もう牛乳パックでの椅子や遊具は作らないだろうなと思います。結局安くないのです。当時と変わらなければ、多分保育士に残業代なんてたいしてつきません。家に持ち帰ったり、サービスで居残って作り物をしています。それを時給換算したら、かなりの金額になると思います。その金額と、意外とかさむガムテープやカバー布の代金を合わせると、高くつく椅子になるでしょう。牛乳パック椅子がその金額に見合った質かというと、割高になってしまうはずです。

そして、どんなに器用な人が工夫しても、どうしても美的に物足りないものになりがちです。美に対する教育が日本で充分だろうか?とよく感じます。そもそも『余裕』がないと美を取り入れることはできません。どこを向いても何においても余裕がないのが一般的日本人の日常だと思います。せつない。
美的感覚の欠落は、大人としての振る舞いの欠落にもつながります。いつまでも感覚が子どものまま。子ども感覚では公共心が足りないのです。個人を保ちつつ社会的な調和ができるのが大人です、とドイツの町並みを見た時に感じました。美しい景観を保つということに共通理解があるんだなあと。自分の広告を一番目立たせようとする町並みではない。そして、それは小さい頃から美ということに対して感覚を育てているからだろうなと思ったのです。子どものために手作りするなら、また手渡すなら、美しいということを意識したいと考えます。

牛乳パック椅子に戻り…
保育者が椅子を作る時間を、今日の子どもの活動を振り返り、明日につなげる準備にあてたほうが保育としては実があるのではないかと感じます。椅子なら、椅子のことを散々考えて高機能に美しく作る人がそれを仕事としていらっしゃるので。

ちなみに、保育士時代に作った牛乳パック階段は、その後短い期間で大工さんに木で作りなおしてもらいました。牛乳パック製は処分に一苦労したので、牛乳パックと新聞紙は束ねて資源に出すのが一番なのでは?とそれ以来思っています。