遊ぶことが何になる?

主体的な遊びを中心とした保育を実践していこう、そう舵を切り、お部屋の環境のための棚も遊ぶためのおもちゃも揃え始めた。子どもたちは新しいおもちゃが嬉しくてよく遊んでいる。

この様子を見て「こんな遊びが、一体何になるんですか?」と疑問をもたれる保育者もあるとのことでした。
お聞きしたときは、これから、どう、何を伝えていけるのだろうと考えました。少しして、この疑問が正解の証なのではと感じるようになりました。一体何になるか、具体的にはわかりにくいものを私達は育てようとしているのですよね。非認知能力というワードに現れています。

一斉に課題を提供する保育は、何ができて何ができないかわかりやすいです。評価しやすく、保育者の達成度が目視できます。課題を考え、準備し、集団に適切に提供し、評価し、到達しない子への配慮をするという一連のマネージメント能力が優秀であり、現場でのこういった保育の何が問題なのか疑問に思われるのかもしれません。

「一体何になるか」それを解説するや研修はたくさんあります。読むたびに、受講するたびに、目からウロコが落ち、自分なりに解釈して現場への実践につなげようとします。でも、自分たちが受けてきた教育、養成校で習ってきたこと、現場でずっと行われてきたことはかなり根強く根深い。一体何になるのか、その『何』にも答えを出して評価しなくてはいけないと追い詰められた気持ちにもなるかもしれません。たくさん本を読んで講義を聞いて学ぶことも大事ですが、保育者が感性を磨いて、自分で気づいていけるようになることに時間を要するのだと思います。

遊びを通すと、個性が浮き彫りになります。そうなるおもちゃをご紹介しています。一つ一つを認めることが、子どもたちが(やがて保育者も)自分が受け入れられた存在であることを知るきっかけになります。それを自覚して育っていくことの意味は、一言で何になるかと言い表されるほど単純なことではないと思います。

遊びに適した環境をつくり、おもちゃがそろい、子どもたちがキラキラと遊び始めた。そこから目を離さずに、なにか気づき、感じていただけたら良いなと思います。答えを出すことよりも。