子ども、本質的に幸せな存在

子どもがいたら、たとえもう成人して実質的な手がかからなくなっていても、何かと折々に心を持っていかれてしまうのが親というもの。
お弁当とか送り迎えとか、そういった具体的に手や時間を取られることばかりではなく、何かあれば心配で他のことが手につかなくなることには、どうも終わりがないらしい。
仕事に集中しなければいけない場面で、なかなか進まず焦りばかりが大きくなる、そんなことを繰り返してきました。

毎日たくさんのご連絡をいただいて、お仕事をお受けするのがとてもありがたい。
ミスなくお待たせすることなく、次々とこなしていきたい。
こういうときふと「子どもがいなかったら思い切り仕事ができるのでは?」と思ってしまわないでしょうか。私は何度も思いました。
だからといって、いなかった方が良かったと思ったことはありません。持ってしまえば、いることから得られる喜びのほうが勝ってしまうので、「でもまあ仕方ないね」で完結します。

でも、これから子どもを持たれる方が不安に感じ、ためらう気持ちはよくわかります。
すごく覚悟がいるのではないかと思います。その覚悟を後押ししてくれるものは何なのでしょう。

ちょっと離れて、おもちゃ屋の仕事の中で触れる子どもさんたちは、本当に尊い!かわいい!楽しい!おもしろい!
子どもは本質的にそういう存在なのだということを改めて知る良い機会をいただいています。
お父さん、お母さん、大変な思いをしてこんな素敵な人たちを育ててくださってありがとうございます!という気持ちです。

毎日少子化問題のニュースを見て、ただ単純に、こういうおもしろい存在が、やはり大人よりたくさんワイワイしている世の中のほうが楽しいよなあ、と思ったりしています。
たくさんの大人に囲まれた子どもポツン、よりは。