デザインの良さが、扱っているおもちゃを好きな大きな理由のひとつです。もちろん、子どもが育つのに不可欠であるとか、保育現場に適したおもちゃだとか、教育的であることも一つの軸として信頼していますが、それはどちらかというとあとからついてくるものという感覚かもしれません。最初に自分の心を捉えるのは、きれい、おもしろそう、ということ。
デザインや様式美により惹かれることで、何が変わるのかはよくわからないです。自分に好きなものがある。その好きなものが、人をつなげたり、和ませてくれたり、楽しませてくれたりする。自分に、おもちゃがあってよかったということは思います。
子どもが理不尽な目にあっていると怒りを感じます。つい先日、その現場に立ち会ってしまいました。
今の日本を見て、デモクラシーを根付かせて行きたい思いがあります。時間は、生きてる間に間に合わないだろうくらいかかることは覚悟していますが、出会わせていただいたお一人お一人と、何かのタイミングで目指したいことを共有できたら、それでもう十分店としての役割を果たして、いるといいなと。
支援者ではない、先生でもない、ただ、きれいなおもちゃが好きなおもちゃ屋ですが、おもちゃ屋からのアプローチもあるのではないかと、けっこうスッキリしてきた気がしています。