小屋番

今日は新潟シネウインドで『小屋番』という映画を観てきました。八ヶ岳にたくさんある山小屋で働く人々を、それぞれの立場、それぞれの思いから綴るドキュメンタリー映画です。

八ヶ岳は山域の名称で、八ヶ岳という山があるのではありません。北八ヶ岳から南八ヶ岳まで、それぞれのお山は性質が異なります。私も3回くらい行き、硫黄岳や赤岳、天狗岳など登りました。たくさんの山小屋にお世話になり、思い出が蘇るような映像もありました。

映画を観ていて思ったのですけど、山を登るとき、普通の登山者は自己中心的になりがちなのかもしれない。自分の体力、お天気、装備、予定、ルートなど、自分のことばかり考えて登ります。これは良くも悪くもなんです。今、『凪の人』という本を読んでいるところですが、その中にピピっと来た言葉がありました。

「…誰かと競争するわけではない、戦うわけでもない、登山は自分の心のなかだけにあるもの。のぼりたいという気持ちも、がんばって登る行為も、すべて自分の心のなかにある。それが、妙子には心地よかった。『こんなに楽しいものはない。また山に登りたい』と思うようになった。

これは良い面だと思います。でも、山登りって過酷だから余裕がなくて、その楽しい山登りを支えてくれている人、心配してくれている人たちのことを思い巡らす余裕がない。それは小屋番と呼ばれる、山小屋で仕事してくれている人たちのことです。だから、そこにスポットを当てた映画はとても良かったです。そうだ、休ませてくれる、水を補充させてくれる、トイレを用意してくれている、登山道を整備してくれている、それは小屋の人たち。

山に登りたい人の気持ちはすごくわかります。私がそうだから。でもそうでない人が、なんでわざわざ不便なところに疲れに行くのだ?と感じるのもわかります。ましてや自己都合で登ってくる人たちの面倒を、大変な思いをして見ようなんていう山小屋の人たちは、さらになぜその道を選んだ?と、私さえチラチラ思いました。でも、羨ましくもある。やってみたい、憧れの仕事でもあります。

初めての子連れ山泊は山小屋でした。子どもも小さかったので個室を取って、快適でした。次の山小屋は4畳に7人が足頭交互に寝るぎゅうぎゅう詰めで大変な思いをしたので、テントを購入して、しばらくはテント泊の登山でした。昨年は、長期の山行に挑戦したのでテント泊は無理と判断して久しぶりに山小屋泊でした。コロナ後の山小屋は、人数制限していて、荷物も楽で快適で、すっかり山小屋にハマってしまいました。これからは山小屋を楽しむお泊り登山にしようかなと考えていたので、八ヶ岳にも改めて行ってみたい山小屋がたくさんで、また山計画の楽しみが増えました。

自分のレベルに合った山行がある。これを知ることもとても大事と再認識した映画でもありました。