モンテッソーリの映画

モンテッソーリ教師の資格を取得するまで、けっこう大変な道のりでした。文化の違う国で外国語で学んだというのは大変さの大きな部分を占めていますが、それだけではない、この学びはなかなかハードだと思います。

養成校では、7月と8月は2ヶ月間毎日、朝から夕方まで学校。9月から翌年6月までは、モンテッソーリ園に勤めながら毎月1回土日の集中講義。片道3時間かかる場所で、早朝から夜遅くまで授業だったので、毎月お泊りで講義を受けに行ってました。試験とペーパーはたくさん。手順書の制作、教具づくり、いろいろやって、最後は一人でワンテーマですべての領域をデザインするプロジェクト制作と発表。見学と実習もたくさんありました。この養成校で資格を取ると、大学の単位、何単位だったかに換算して組み込むことができて、大学に編入してから、この単位に助けられて半年早く卒業できたのでした。そういえば。

勤めていたスクールでは、有資格者と無資格者はお給料が違いました。いくら無資格の人が提供など同じことができても、それではモンテッソーリメソッドを理解しているとみなされなかった。1年間、繰り返し、深部を叩き込まれました。

この映画で、そこにどの程度触れたかったかは読み取りにくかったかもしれません。端的なシーンでしたが、でも伝わったと思います。伝わったと思う、というのは希望になりました。モンテッソーリメソッドって、こういうことだっけ?と思うことが時々あって、要するに、子どもが置き去りになっているような気がするのが切なかったのです。映画の中では、マリア・モンテッソーリには、承認欲求が見られない描き方をされていた。時代による諦めと、そうじゃなくても目の前の子どもが幸せでないことに耐えられない。後半は見せ方を利用する演出でしたが、それも主目的が何であるかはそこまでのストーリーでちゃんとわかるようになっています。

とっても優秀な人に大事なマインドが備わった奇跡。ご本人は大変だったと思うけれど、乗り越えて150年残る歴史的なメソッドが生まれた、それがモンテッソーリメソッドだと、改めて。